郡山宿本陣(椿の本陣)で見つけた、いばジャル的「へぇ♪」なもの

どもども、いばジャルです。

昨日お伝えした、国史跡「郡山宿本陣」。 昨日の記事
春の特別公開は、今日まで。
行ってみよう!という方は、「郡山宿本陣へ行くには?」をご参考に♪

タイミングが合えば、今回はムリでもまたの機会にぜひ。ここでは、私が見ておもしろいなぁと思ったものを少しだけ。

まずは、昨日もご紹介した、土間の関札。
土間の関札

これ、写真ではわかりにくいのですが、幅が30センチ、長さが1~1.5メートルもあります。
宿泊した人の名前が書かれていて、赤穂浪士でおなじみ、浅野内匠頭の名前も残っています。他に、どんな人が宿泊したんだろう・・と想像するとワクワクしますね。

土間に隣接した、この宿の家族の居住スペースには、お雛飾りのような長持ちなどもあって、どっしりと重厚な感じが伝わってきました。

食事の用意をしていた、かまやというところには、釜戸の上の天井に、ちゃーんと、

煙出し口

煙が出て行くように「煙出し口」がありました。
おもしろいなぁ。。。

敷地内には、蔵や納屋などが複数あって、そこを展示室にしていました。納屋の中には、牢屋…というか、柵も展示してありました。大名行列では、罪人も連れていたんでしょうか。

ちなみに、この郡山宿本陣に宿泊できるのは、大名とそれに継ぐ高い位の人だけだそうで、それ以外の多くの人たちは、近隣の宿に泊まったのだそうです。

納屋に展示されていた「高札」も、興味深いものでした。「お上からいただく大切なもの」だそうです。
何がビックリかというと、

郡山宿本陣にある高札

わかるかなぁ・・・。文字が凸ってるんです!
この技術、大名からの宿泊予約が入ると作る「宿割図」という図面にも見ることができました。

図面を何枚も書く手間を省くために、凸版を起こしていたそうで、そういう技術が、すでにあったってことなんですね。

他にも、茶室を見たり、大名が居室にしていた部屋も見る事ができて、たっぷり1時間ぐらい過ごしました。わりと早足で見て回ったので、じっくり見るには、もうちょっと時間があったほうがいいかもしれませんね。

宿を営むことは、「名誉職」だったそうで宿泊代は、大名からの心付け。
生活するために、他の職業を持っていたというので、今もこうして残っているということに、ちょっと感動しました。

特別公開の期間は3月16日で終わるのですが、普段でも、5人以上のグループでなら事前予約で見学ができるそうです。

下の写真は、大名もおそらくこの風景をみたんだろうなぁ・・・という、御成門とその横にある椿。

御成門の中から

建物、古文書や生活用品など実際に残っているものを見られるというだけでなく、宿駅の昔の様子や、郡山宿本陣がどのように営まれていたのかも知ることができました。

いやぁ・・・、行ってヨカッタです。

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