古代ロマンを秘めたスポット溝咋神社に行ってみた

はい、茨木ジャーナルです。

「情報はココ」ページへコメントが届きました。

「茨木の五十鈴町にある『溝咋神社』をご存知ですか?
茨木の隠れたパワースポットとしても、一部の人から有名らしいです。なにしろ、そちらに祀られている五十鈴姫は初代天皇の神武天皇の皇后様です。・・・」(通りすがりさん)

春ごろにも
「全国レベルの歴史をもち、日本書記の『神武天皇の嫁探し』で知られる溝咋神社が…」(掘りごたつさん)とコメントをいただいていました。

五十鈴町9-21, 大阪府, 日本


溝咋神社鳥居IMG_9455

名称は知っていても行ったことがない…。
なーんて思っていたある日、他の場所を探していたときにたまたま通りかかりました。

住宅街のなかにある溝咋神社

溝杭神社鳥居のところIMG_9456

ここかぁ、とちょっと嬉しくなって入ってみました。
静かな住宅街の中にあり、参道のすぐそばにも家が並んでいます。

溝咋神社参道IMG_9457

参道は北へずーっとのびていて、ゆっくりお散歩してる人や親子連れの姿もありました。近所の方に親しまれてるスポット…という印象。天気が良かったからか、歩いていても心地いいなぁと感じました。

「神社で子どもが遊んでて…」なんて風景が浮かんでくる場所だなぁ。

溝咋神社入り口鳥居IMG_9470

一の鳥居からまあまあ離れたところに、神社の入り口。写真ではわかりにくいんですけど、鳥居の前に小さな橋がかかっています。

さらにまた写真ではわかりにくいんですけど、赤い鳥居の向こう、本殿に入る前には立派な神門もありました。「はぁ…」と見とれてしまうほど、立派で写真を撮り忘れた(ってことで)。

溝咋神社の手水舎IMG_9465

手水舎があって、

溝杭神社拝殿IMG_9461

拝殿。
境内はきれいで、手入れがされているんだなぁ…と感じるのですが、

溝咋神社の案内板IMG_9460

拝殿には、看板がたてられていました。

「平成30年大阪北部地震、台風21号、また大雨災害により当神社でも境内各所が大きな被害を受けました」とあります。

地震や台風の被害が残っていました

実は、参道を過ぎて赤い鳥居が見えてきたぐらいから「あ‥」と。
地震や台風で被害を受けた様子が、まだ残っていたんです。神門もその一つ。

拝殿のまわりは、ほとんどのところでダメージを受けているようでした。

溝咋神社中の鳥居IMG_9463

いただいたコメントにも

「昨年の災害で社が傾き、現在宮司さんもおられないため修繕には土地を切り売りする必要があるとのことです。それにともない御神木を切り倒すことになるらしく、子どもの頃親しんだ者には辛いかぎりです」(掘りごたつさん)

「昨年の北摂地震で、資金不足のため建て直しが未だにできていません。一人でも多くの人にこの事実を知ってほしいとおもいます」(通りすがりさん)
と、ありました。

溝咋神社の被害IMG_9464

どこも立派なつくりの溝咋神社ですが、いまだに(行ったのは2019年4月)修繕がされてないんだなぁ。

溝咋神社って?(茨木市の史跡より)

持っている「茨木の史跡」(茨木市教育委員会発行)という冊子で、溝咋神社について見てみました。(以下一部を抜粋)

「もともと上の宮と下の宮に分かれて祀られていたが、1909年(明治42年)に現在の社である下の宮に合祀された。現在の社殿は、1742年(寛保2年)に大坂の豪商殿村平右衛門と、現沢の鶴酒造の創始者石崎喜兵衛の寄進によって建立された。」

神門のそばにあるご神木も本当に立派でした。

溝咋神社の桜IMG_9462
(写真は拝殿そばの桜。初めて行ったのは4月だったので)

「茨木市の史跡」によると「祭神は、正殿には媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと。神武天皇の正妃)と溝咋玉櫛媛命(みぞくいたまくしひめのみこと。五十鈴媛の母)を、相殿には三島溝咋耳神(みしまみぞくいみみのかみ。玉櫛媛の父)などを祀る。」のだとか。

五十鈴媛が神武天皇のお后でしたっけ。はぁ、スゴイ。

古代ロマンを感じるスポット

たまたま神社にいらっしゃった方が「あれも、変わってるでしょ。池の中にあって、厳島神社みたいな…ね」と教えてくださったのが、

溝咋神社2IMG_9466

ここ。
石の橋を渡っていくようになっていています。

食べ物を作るための水と水路、溝を構成する杭を大切にしてきた…という場所なのか「茨木の史跡」によると
「溝は、農業用水の水路のこと。くいは、溝の辺に打ちつけるもので、水がスムーズに流れる役目をはたしているもの。耳神は地方の長者の意である。…」とも。

溝咋神社2-3IMG_9467

日本書紀に記されている話も紹介されていました。

「日本書紀には次のような話が記されている。神武天皇が妃を迎えるにあたって『事代主神が三島溝咋耳神の女の玉櫛媛と結婚されて生まれた女を、媛蹈鞴五十鈴といい、たいへんな美人です』と進言するものがあり、これを聞いた天皇は非常に喜び、さっそく媛蹈鞴五十鈴を召して正妃としたと。」(茨木市の史跡より)

溝咋神社の花IMG_9459
(溝咋神社の参道、カワイイ花も咲いていました)

「そのような古代ロマンを秘めている神社である」(茨木市の史跡より)と締めくくられていました。
こんな解説をされると、シーンを想像できてちょっと楽しい。

地震で受けたダメージがありますが、厳かな雰囲気と親しみやすさのあるステキな場所でした。カメラ好きの人にもおすすめしたいなぁと感じましたよ!

溝咋神社の拝殿にあった看板には、修復のための寄付を募っているともありましたので、気になる方はご確認くださいね。

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