時は金なり!移動時間わずか数秒で権力の象徴を3つも見られるスポット
はい、茨木ジャーナルです。
少し前にあげた【茨木のニュータウンに残る、悲しい恋の物語】の記事。
山手台の「幼稚園前」バス停から山手台中央公園へ向かう途中にある「おさん茂平恋道中碑」を紹介した記事ですが、その同じ場所に、また別の「おぉ?」というものがあります。
坂道を上って
「おさん茂平恋道中碑」と書いてある標識を矢印のほうへ。
前に紹介した悲しい恋物語の碑と同じ場所ですが、階段を上ってすぐのところに何かがあります。
最初、この石の物体が「おさん茂平恋道中碑」なのかと思ったのですが、違うんですねぇ、これが。
ではまず、階段を上って左手をご覧ください。
草のような、ツルのようなものが、こんもりと。なんでしょうか?
続いて、その右隣。階段を上って正面をご覧ください。
なんでしょ、これ。タイルみたいな平たい石板が敷き詰められて、周りを石が囲っています。そう言えば、さっきの草がこんもりと盛られていたところも、石で囲いがあるような・・・。
んー、まさかの健康歩道的なもの?
いやいや、違いますよね。
さっきのこんもり盛られていたところの手前に、案内板がありました。
これらは、サニータウン(山手台)開発で発見された古墳で、「初田一・二号古墳」というんですって。
一号墳は、横穴式石室の側壁下部だけが残っていて、二号墳は、上部は破壊されていたがどうやら円墳らしく、横穴式石室の側壁が残っていた・・・・と。
ふむ。
この二つ、どっちが一号でどっちが二号なのでしょうか?
この疑問って「ロンドンブーツ一号二号の、亮は一号?二号?」という質問と種類は一緒かなぁ。
案内板を読むと、なんとなく「あ、こっちが一号かな」とわかりますが、念のため「茨木の史跡」(茨木市教育委員会発行)で調べてみました。
健康歩道的な方が「一号墳」で、こんもりが「二号墳」です。
一号墳は、安威と高槻市とにまたがる阿武野古墳と似ているので、何か関係があるのかもと書かれていました。阿武山古墳というのは、一説には、大化の改新で有名な「藤原鎌足」の墓とも言われている古墳です。
「茨木の史跡」には、初田一号・二号墳は両方とも、造成工事で壊されたと書いてあります。
ここにあるのは「石室」のみで「復元され残されている」ものだそうです。
ずっと前に記事にした「鼻摺り古墳」も確か、発掘調査以前に盗掘にあってた・・と書いてありました。
【珍しい方形古墳が茨木市の住宅街にひっそりと -鼻摺(はなずり)古墳-】の記事参照。
昔のものがそのまま残るってムズカシイことなのかもしれません。
さて、そのまま階段を上ってずずっと右手へ視線をやりますと、
わー、これこそ、健康歩道では?!・・・です。
そばの案内板の説明によると、
これは「長ヶ淵一号墳」。
安威4丁目の安威川沿いに長ヶ淵古墳群が位置しているそうで、発見された円墳七基のうちの一号墳が、ここに移築されているんですって。
初田一号・二号墳と長ヶ淵一号墳。
昔に作られたものが、その場所でずっとあり続けることもムズカシイことなんでしょうかねぇ。
でもまぁ、ほんの数歩だけで一度に三基も古墳を見ることができるという、効率の良さ!
ぜひっ!!