西国街道をテクテク、東芝跡地そばの雲見坂から太田神社まで
はい、茨木ジャーナルです。
2016年5月に【茨木市・東芝跡地に大学の新しいキャンパス!】という記事をあげていますが、今のところスコーンとあっちのほうまで見渡せる東芝跡地。
近くに、東芝の名前がついたバス停や交差点があるので「あぁ、この辺だったのかなぁ」とわかりますけど、そのうちもうわかんなくなるんでしょうか。(そういえば、「松下町」もあるけど、どちらも地名はそのまま?)
「太田東芝町」の交差点のところには、東西が「西国街道」ですよとわかるように石標があります。
あっちが西。
こっちが東。このままずーっと行くと、茶臼山古墳に繋がってます。
【茨木には古墳がたくさんある、って話 vol.2 -茶臼山古墳-】の記事と
【茨木市には古墳がたくさんあるって話 vol.2の続き -茶臼山古墳-】の記事は、茶臼山古墳に行ったときのものですけど、こんなに整備された坂道の先にあの細い道が繋がってるのが、フシギ。
この坂道は「雲見坂」というのだそうです。
「…天文を見て雲気を考え、軍の勝敗をさとりし所といふ」・・・。雲の動きを見て、天気と戦い方を考えていたのだと。坂の上に大きな石があって、そこに紫式部が腰かけて勝尾寺山を眺めていたともいわれているんだと書いてあります。
ちょっと東へ。
坂の途中にまた石標があって、新しいほうのものには、左へいくと太田神社だと書いてあります。
そばの小さな石標に「京、ふしみ(伏見)」の文字。こういう古い石標を見ると、昔の人もこれを道標に歩いてたのかなぁと思います。ここで左折することにして、いったん振り返ってみると、
けっこうな坂です。茨木って平らな道が多いように感じるので、珍しいのかもしれません。
角に常夜燈があって、すぐまた坂が。アスファルトの道なんですが、なんとなく雰囲気のある風景です。
さっきの「太田神社・雲見坂」の案内板に書いてあった説明によると、太田神社は平安時代に醍醐天皇の命により編纂された延喜式の神名帳に記されている神社の一つ・・なんだとか。
「?」という感じなので調べてみました。延喜式神名帳というのは平安時代の律・令・格の細則を記した法典で、巻一から巻十までのうち、巻九と十が神名帳。当時の官社の一覧表なので、そこに記されているということは、平安時代にすでに官社として認められていた、由緒ある神社だということのようです。
広くない道をずーっとまっすぐ進んだ先に太田神社がありました。「うっそうとした」という表現がぴったりくるような境内。まっすぐ伸びているのはスギの木かな?
確かめようかなと思ったけど、「まむし注意」の看板を見たら急に速足になってしまった。コワい・・・。一人だし・・・。上から降ってきたらどうしよ・・と、妄想しまくり。
参道の脇に背の高い木が並んで、とても厳かな雰囲気。鳥の声だけが響いていて、違う世界にきたような感覚です。
まるで「森を抜けたところに参殿がある」という感じの、なんともいえない存在感。参殿は木々を抜けてスッと明るくなったところにあって、朝に行ってみるのも気持ち良さそうだなと思いました。
お参りを済ませて後ろを振り向くと、
これまたいい眺め。来る時にはわからなかったんですが、木が茂っているのは主に西側だったんですね。奥のほうまで森のように木が茂っていました。鳥の声はあっちゃこっちゃから聞こえてる気がしてたんですが、「まむし、コワい」とドキドキしてたからそう聞こえたのかも。帰りに、東側の木が茂ってないほうで珍しい鳥を見つけたんですが、さすがにカメラをゴソゴソしてる間にどっか行っちゃいました。
山上にある神社ってわけではないけど、うっそうとした木々の間を抜けて階段を上り、広いところへ到着したという感じは、お参りしましたという小さな達成感もありました。
こんな神社もあるんだなぁと、一つまた素敵なスポットを見つけた気分です。静かな住宅街が近くに広がっていて、地域の人の大切な神社なのかなぁなんて思いながら、太田神社をあとにしました。
観光協会のサイトを見たら、本殿の裏には、継体天皇崩御の際に殉死した人が葬られていると考えられる陪塚(ばいちょう)があるんだそうです。
まむし、こわくてそんなにゆっくり見てられなかったけど。