昔の茨木の話「終戦前の茨木で」-植木屋・松井さん

はい、茨木ジャーナルです。

先日、阪急本通商店街のカフェレカでお昼を食べていたら、となりのテーブルに座っていた方を紹介していただきました。

「この人ね、すごくおもしろいんです。話、聞いてほしいわぁ」とカフェレカ・藤田由美子さん。
「そんなん、なんもおもろいことないでぇ」というのは、茨木市上中条の植木屋・松井昭彦さんです。

「ほらぁ松井さん、あの話してくださいよぉ。大阪から茨木に来た話とか、人力車の話しとか…」と促された松井さんに、お話を聞きました。

終戦の前の年、茨木へ来た

カフェレカのテーブル席DSC08356

大阪市の桜橋に住んでいた松井さんは、1944年に親戚を頼って茨木市へ移り住みました。終戦の前年、松井さんが4歳のときのことです。

「十三大橋を通って歩いて茨木へ行ったんやろね。道のところどころに大きな穴が開いてて、ちょうどこのテーブルぐらいの大きさかなぁ(約50センチほど)。都会は攻撃を受けるから、みんな田舎のほうへ疎開してたんやけど、僕らなんかより集団疎開してた子どもらなんかのほうが、大変な思いしたんとちがうかなぁ。寂しいし、肩身の狭い思いもするやろうし」

「都会が狙われるんよ。B29の焼夷弾って、爆弾から飛び散る火が街を焼き尽くすんやね。戦争のための靴を作ってる工場とか、そんな場所は狙われる」

一日かけて到着した茨木を、松井さんは
「幼いながらに『田舎やなぁ』って思った。灯りもともらないし、人力車が走ってたからね」と振り返ります。「今の茨木高槻交通ってタクシーの会社あるでしょ。昔は茨木交通やったんやけどね。あれが、車じゃなくって車夫が人力車を引いてたんやもん」

「子どもだったけど、覚えてることはありますよね」という松井さんに、44年に茨木へ来てから終戦までの間で印象に残っていることを聞きました。

魚すくいに行くときは、白いシャツを着ない

「とにかく食べるものがないから、いつもお腹は空いてたね」
それでも、川に行けばエビやドジョウ、コブナなど魚はいっぱい。よく魚を取りに行っていたと言います。

「親から言われてたのは、魚すくいに行くときには白いシャツを着ていくなってこと。空の上からは目立つから、日焼けして裸で出かけてた」

いとこと魚をとりに行ったある日のこと。

「グラマン機って、真っ黒な飛行機があるねん。それが来た。いとこが白いシャツを着てたんやね。バババババーッと撃ってきよった。養精中の横、市役所の前の水路みたいな川のところあるでしょ。あそこに飛び込んで草陰でじっと待ってたんよ」

松井さんは「聞いた話やけど、茨木市の南のほうにアメリカ軍の飛行機が落ちたらしい。見に行った人がその軍人の足を見たら、スリッパを履いてたっていうねん。それでみんな『アメリカは、軍靴すら持ってない』『そんな国に負けるわけがない』って言うてたみたいね。軍靴は席の近くに置いてスリッパを履いて操縦をしてたぐらいの余裕があったってことなんやったんやろうけど」

いつもお腹が減っていた

松井さんのお話を聞いていたとき、そばの席でうなずきながら話を聞いていた女性がいらっしゃいました。

「私も、大阪市内に住んでて山本(宝塚)のほうへ疎開してたんです。だから聞きながら、いろいろ思い出して」とおっしゃいます。
「みかんの皮とかさつまいものツルとかも食べました。振袖一枚でサバ一尾と交換してたって親から聞きましたわ」

松井さんも「お百姓さんだとまた違うかもしれないけれど、いつもお腹は減ってた。さつまいもやかぼちゃを見ると、あの頃のことを思い出すね」とうなずきます。

「一年生のときやね。アメリカの軍人が来てDDTを吹きかけられるんよ。それをかけてもらったら、ガムがもらえるねん。もらったガムを一日中ずっと噛んでるねんよ、寝るまでずっと。それで、寝る時に口から出して、お皿に置いとくねん。次の日にまたそれを噛んで学校に行くねん」

そしたら学校で怒られてなぁと、松井さんがおもしろおかしく話してくださるので、みんな笑ってしまいます。

「終戦の日のあのラジオも、聞いたよ。みんな集まって聞いてたなぁ。でも、雑音しか聞こえへん。回覧板でちゃんと知った。みんなうなだれてたよ。僕は『お腹が減ったなぁ』っていうことを覚えてるぐらいやけど」

大阪時代に「鉄兜を買ってあげる」とおもちゃ屋さんへ連れて行ってもらったけれど、なんにもおもちゃがなくてがっかりしたこと、「食べ物屋さんがないか」と通りがかりの兵隊さんに聞かれたおばあさんが、なんの店もないので家に招き入れておにぎりをあげていたことなど、いろいろな話を聞かせてくださいました。

幼かったころのエピソードの隣に「お腹が減ってた」様子が多くあったこと。そして、
「僕なんかより、もっといろんな思いをした人がいるから、僕の話なんか」と、何度もおっしゃっていたことが印象に残りました。

戦争を体験した方から、直接お話を聞かせていただく機会は多くありません。たまたま隣に座っただけなのに、いろんなお話を聞かせていただいた松井さん、ありがとうございました。

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