災害ボランティアセンターに聞いた、6月18日からの1ヶ月。
はい、茨木ジャーナルです。
2018年6月18日に起きた地震。その翌日に立ち上がったボランティアセンターについて、前に少し紹介していました。
【困ったときはボランティアセンターへ。活動参加も募集中。(6月22日)】の記事参照。
1ヶ月を過ぎた現在、どんな様子なのでしょう。
茨木市社会福祉協議会(以下、社協)の佐村河内力(さむらこうち つとむ)さんに話をお聞きしました。
社協では、茨木市やNPOなどの団体と連携して6月19日にボランティアセンターを立ち上げました。全国から駆けつけてくれたボランティアさんと調整して、茨木市民の被災による生活の困りごとや悩みの相談に対応しています。
6/18~7/17 ボランティア活動をしてくれた人たち
6/18からの1ヶ月間、茨木市の災害ボランティアセンターへ駆けつけてくれたボランティアさんの数は延べ2,402人。多くの方が茨木市民の支援のために集まってくれました。
7月16日だけを見ても、40人のボランティアが活動してくれています。
「発災から日ごとにボランティアさんの数は増え、最初の週末は多くの方が来てくださると想定して準備した」と佐村河内さん。
「困っている人の役に立ちたい」と来てくれるボランティアの方々。その思いを無駄にしたくないと準備を進めたことで、結果的に多くの方に長く支援をしてもらえました。
市民からの支援依頼は
発災後、最初の週末に駆けつけてくれたボランティアは、約350人。
「ボランティアさんの気持ちに対して『人数が多いから』と断ることは避けたかった。困ってる人は、もっと増えると考えていたので」と、ボランティアの人たちにはさまざまなことをお願いしました。「ボランティアセンターに相談ができる」というチラシの配布も頼んだといいます。
チラシの配布によって、ボランティアセンターの開設が知られていくと、支援の依頼も増加。多いときは一日180件ほどの依頼が来るなど、1ヶ月間に受けた依頼は1,742件になりました。チラシの配布が、困っている人たちの相談を促したのです。
震災から間もないうちの作業依頼は、その半分が室内の片付けや家具の移動など。残る半分はブルーシートを張るなどの作業でした。やがて大きな家具を外へ出す、ガレキを撤去するなど、屋外作業の依頼が増えていきました。
「屋根の復旧などは相当日数もかかるようです。ブルーシートは雨ざらしなので、数ケ月もすれば今度は張替作業も必要になると考えています」と、まだまだ支援は続きます。
プロボノの支援
6月18日の地震が起きたとき、茨木市外にいた佐村河内さんは、急いで茨木へ戻りました。
その道中は冷静に茨木到着後を想像する時間となり、ボランティアセンター立ち上げの準備にスムーズに取り掛かれたと話します。
もう一つ、ボランティアセンターの活動をスムーズにしたのが、発災後すぐに駆けつけてくれたの「プロボノ」の存在。
プロボノとは「公共善のために」を意味する「pro bono publico」を語源にする、技術をもった社会活動団体のことです。被災地でのボランティア活動の経験を持つ人たちが、茨木に駆けつけてくれました。
「何かあれば、自分が怒られる。だから助けてほしい」と佐村河内さんが考えを伝えると、プロボノのメンバーも「覚悟を持ってくれてありがたい。自分たちも精一杯のことをしたい」と、調整がスムーズに進みました。
屋根にブルーシートを張る作業も、災害ボランティアとして活動経験が豊富だったプロボノのおかげで、スピーディに準備ができ、市民からの依頼に対応していくことができました。
「ブルーシートを張る作業なんて、仕事としてやってるところはない。だからプロボノさんの経験は大きかった。ボランティアセンターの運営も学ぶところが多かった」と佐村河内さんは振り返ります。
大阪北部地震と西日本豪雨災害と
茨木のボランティアセンターでは、4団体ほどが中心になり、各地から訪れる一般のボランティアとともに日々活動をしていました。
7月の西日本豪雨災害では、その被害の様子に「当然、彼らも被害の大きい場所へ向かうことになるだろう」と佐村河内さんは考えていました。
ところが1団体だけが、茨木のボランティアセンターに残ることになったのです。
「西日本豪雨災害の被災地で活動をしたい。でもそれは、まだ支援を必要としている茨木で、しっかり活動が続いていることが前提だ」
一緒に活動し、信頼関係を築いてきたボランティア間での強い思いがあったのです。
「茨木に戻ってくるから活動を続けていてほしい。西日本豪雨で被災した地域へ、物資を供給するための拠点となってほしいと言われた」と、佐村河内さんは言葉を詰まらせながら、感謝の気持ちを話してくださいました。
ボランティア活動の今後について
ボランティアセンターの活動は、これからも続きます。
「家庭や屋内など、表に出ていない被害が多いんじゃないかなと。届いていない支援もあるんじゃないかと、今でも思う」と佐村河内さん。
「ちょっと困っている」という相談に今後も応えていきたいと考え「どんなことでも相談してほしい」と話します。
「例え僕らにできない作業の依頼があったとしても、相談してもらえれば他の部門へ繋ぐことができる。それが、社協がボランティアセンターをしている意義なんです」と、実際に震災ボランティア活動を通して、別の課題の発見につながった事例も話してくれました。
「これからは、精神的な不安や健康上の相談なども増えると考えられます。不安を相談したり話せる場も求められるのかもしれません」と、今のちょっと先を想定しながら準備をしているようでした。
西日本のストックヤードに
中央公園南グラウンドのわずかなスペースに設けていたボランティアスタッフのブースも、現在は新たな拠点として、元豊川幼稚園の跡地へ移転する準備を始めています。
「今、屋根に張ってあるブルーシートも、何ヶ月かすれば張り替えが必要になる。支援はまだまだ続くし、この先、関西で何かが起こった時の『ストックヤード』として活用できるよう準備したい」と話します。
「ボランティアとボランティアセンターとだけが頑張っても限界がある。支えてくれる行政にも感謝しています。茨木市長の『そんなん、当たり前ですやん』って一言で、ボランティア団体の士気もあがりました」
西日本豪雨災害の被災地へ向かったボランティアの思いが、現実のものになりつつあるようです。
判断が市民に関わる
最後に佐村河内さんに、市民の皆さんへ伝えたいことを聞きました。
「相談してほしいと思ってます。『こんなこと頼んでいい?』『私が頼んでいい?』と遠慮しなくていい。ボランティアさんは、頼ってもらおうと思ってここに来てくれてます。『以前、助けてもらったから、今度は自分が力になりたい』という人が多い。そうやって助け合うことで世の中は回ってる。だから、今は頼っていいんです」
ボランティアセンターを立ち上げるときに「頼り切ろう」と覚悟を決めた佐村河内さん。
話をお聞きしていて、私が印象に残ったのは「判断がすべて茨木市民に関わるから」という言葉でした。
「今はボランティアさんたちに助けてもらおう」「何かあれば自分が怒られよう」という覚悟の土台になっていたのは「ボランティアセンターの判断が茨木市民に関わる」という思いだったのでしょう。
茨木市民の支援を行いながら、今後を見据えて「関西のストックヤードを作りたい」と考えている様子は「助けてもらうことと助けることとで、世の中が回っていく」という言葉どおりだと感じました。
お忙しい中、たくさんの話を聞かせてくださった佐村河内さん、ありがとうございました。
さて、最後にちょっとだけ。
実は私も、ボランティアさんに作業をお願いした一人。「私が依頼していいんだろうか…」と悩みました。
作業後にボランティアさんが「スッキリしたでしょ?大変でしたよね」と言ってくださった瞬間「お願いしてヨカッタ」と肩の力が抜けました。「あ、頼んでいいんだ」と思えたのは、本当にありがたいことでした。
地震から一ヶ月が過ぎ、片付けや修理などが終わっていないと、取り残されてるような気持ちになることもありますよね。一人で抱えて踏ん張っている方、いらっしゃいませんか?
ボランティアセンターへ相談してみるのも、一つだと思いますよ!