茨木市民会館前の人工台地にあった「被爆石」はココ!-茨木の風景
はい、茨木ジャーナルです。
2月12日からは、茨木市役所と福祉文化会館、市民会館をつなぐ歩道橋も利用NGになって、いよいよ始まるのかなぁ…のような、茨木市民会館の解体工事。
まだ解体はされていませんが、市民会館前の人工台地は工事用の車両が出入りしていて、ここで働く皆さんのための建物も設置されていました。
人工台地へ入るためのゲートも作られていまして~。
ココ、個人的に来年のお正月が楽しみです。
(写真は2018年1月)
こんなの、期待してます♪
今年ではないけど【太田東芝町の門松も立派!ここに追手門学院新キャンパスができる予定。】記事も、よかったらどうぞ。
さて、茨木市民会館の解体工事に伴い「友愛の像」が彩都西駅前ロータリーに移された、と2月14日に紹介していました。
【茨木市民会館前から彩都へお引越し!駅前のシンボルといえば…】の記事参照。
その記事の中で
「石、といえば、市民会館前に『原爆の石』というのも設置されてた気がするんだけど、あれはどこへ行ったんだろ?」と書いていました。
すると
「原爆の石は消防署の裏の桜通りの植栽の中に移動していましたよ~」
「原爆の石は、消防本部の東に移転しています。」
「被爆石は、合同庁舎の東側、消防署の隣の元茨木川緑地にお引越ししてますよー」
と、皆さんが教えてくださいました。ありがとうございます~!
(写真は2017年)
茨木市消防本部のほうへ行ってみました。
☆上の写真の赤丸が気になった方は【3月11日東日本大震災から6年。16.7mの高さって?-防災のこと】の記事もぜひ。
茨木消防本部となりの元茨木川緑地へ
消防署から元茨木川緑地のほうへ進むと、あぁ、もう見えてきました!
あったー!ココに引越してたんだぁ。
これが「被爆石」。
昭和20年(1945年)8月6日に広島で被爆した敷石です。
被爆石の隣に茨木市の「非核平和都市宣言」の碑も設置されていました。日付が昭和59年(1989年)12月17日。文字はところどころがかすれていて、そのままの状態で被爆石と一緒に移されたようです。
平和への願いのシンボルですもんね。ん~、これは大切にきちんと設置しとかないと。
で、気付きました。
実は「友愛の像」のことを書く時に「あの石、ずっと前に写真を撮ってたよなぁ。どこにあるかなぁ」と、手持ちの写真から必死に探してたのに、見つけられなかったんです。
被爆石…というのですね。勘違いしてました…。
改めて「被爆石」で探してみたら、過去の写真の中にありました。
茨木市民会館前の人工台地にあったころの、被爆石です。
2014年2月に撮っていました。
元茨木川緑地に続く場所に移設されましたが、この先もずっとそのままなのかな…。
ここを通る方は多いようで、たくさんの方に被爆石も見られるようになったかも。そのおかげで「こっちにあるよー」と、コメントもいただけたのかもしれませんね。
もっぴぃさん、匿名さん、Mさん他、教えてくださった皆さま、ありがとうございました!
あ、そうだ!
元茨木川緑地の「次なる茨木へ」フラッグは、まだありました。彩都西駅前ロータリーのフラッグは、くるくる~っと収められてましたが。(このページ「友愛の像」写真の赤い印)
もう70周年じゃないからフラッグも終わりなのかな…と思ったけど、まだこのままのところもあるみたい。
私は、フラッグがある風景がイイなぁと思ってるので、ズルズルとこのままでも悪くない気もしてます。
ただ、せっかく地軸の傾きを表す黄色と白のストライプが、もうフラッグごと斜めなので、何度かわからんようになってるのが残念~。フラッグのキープってムズカシイねぇ。