茨木小学校前の大徳旅館が・・・
はい、茨木ジャーナルです。
茨木市は昔、城下町だったことはよく知られていますよね。一国一城令で廃城となりましたが、茨木城の本丸は茨木小学校あたりにあったといわれています。茨木小学校の正門は、茨木城の櫓門を復元したものです。
この茨木小学校の正門を出てすぐのところにあった「大徳旅館」。ここも、きっと古くからあった旅館なのかなぁと感じられる外観なのですが、1月の後半ぐらいだったでしょうか・・・。通ってみたら、
あら・・・・?
あらま。
のぼりがパタパタと・・・。
あっらぁ・・・。これは売りに出されている風景なんでしょうか?!ちょっとビックリです。
でも、売りに出されているというのなら、何か新しいスタイルで活用されるのかもしれません。たとえば、JR茨木そばの「カフェ百花」。築100年を過ぎたおうちがギャラリーとカフェになっていて、たくさんのお客さんに親しまれていますもんね。
【「なぜ茨木にアート?」 HUB-IBARAKI (ハブ・イバラキ)ART COMPETITION】の記事参照
そんなことを考えながら、記事にしそびれて約1ヶ月。
そうだ、大徳旅館のことを記事にしなくてはと思って、もう一度確認のため、大徳旅館へ行ってみました。
するとすると、あらまぁ・・・です。
まずは、先月の大徳旅館の様子が下の写真。
で、行ってみたら、
え。
一瞬、場所間違えたかと思ったほど、びっくりしてしまった。
くはー。
なんの気配もなくなってます。
大阪ではいま、ホテルの予約が取りづらいという話を耳にするので、ここがまた宿泊できる場所だったらいいのになぁなんて、密か~~~に思ってたりしたのですが。。。
ガンバの新スタもできて、サッカー日本代表のゲームも新スタで開催されるって決まったし、遠方からのお客さんが茨木で宿泊して楽しんでいってくれたらいいのになぁなんて、密か~~に思ってたんですけど。。。。
でもよく考えたら、もともと旅館だったからといって、また宿泊施設にならなてくもいいですよね。
面影がまったくなくなるのはちょっと寂しい気もしますが、古い建物を長く保つことは難しいんでしょうね・・・、もったいないけど。
今ならレンガ組みの水路トンネルが、見られるよ